こんにちは!子供のための英語環境アドバイザー kaoriです。
引き続き、私の過去を振り返る事で、私がどうしてこういう人間になったのかを綴っています。
生まれてからこれまでの、過去の私を振り返っています。長い記事なので、ご興味があってお時間のある方だけお読みください。
今回の記事はわたしの20代の頃のこと。
私の20代はどんな時代だったかというと…
今思うと20代前半の私は、無謀で世間知らず、怖いもの知らずなチャレンジャー😅
みなさんご存知の 石橋をたたいてわたるという、有名なことわざがあります。
石橋を爆走でわたり終わった後に、気づいたらあら?後ろに橋があったんだ みたいだと、上司に言われたことがあります。
幼少期から高校時代まで、自分を押し殺し、周囲に馴染もうとして馴染めず、いじめられたり仲間外れにされ、自分というものを見失っていた私が
一気に解放されたのが、私の20代でした。
過去登園拒否をしていた、とか、おとなしい幼少期を過ごしたとか
友達がいなかったとか そういう昔話を信じてもらえない20代、
性格が一気に明るく積極的に変わりました。
一般的には大学デビューなどと呼ぶのかも知れません。
大学時代の私
私は高校を卒業して一年浪人時代をおくり、地元を離れて4年制大学に入りました。
学部は、名前からして自分の興味あることが勉強できそう!という単純思考で、
国際コミュニケーション学部、文化コミュニケーション学科を選びました。
しかも、文系学部なのに、センター試験の数学で合格しました。
高校時代は、英語や国語よりも数学が得意でした。
大学で学んだこと。留学の夢を叶える
今でも後悔していないのは、この大学で学んだ異文化コミュニケーションという分野。
今の私の状況に相当つながってきています。
大学の在学中は、私の長年の夢がかなって英国への留学を果たしました。
応援しサポートしてくれた両親には大感謝です!
私の英語力でもなんとかホストファミリーやほかの留学生たちと交流し、
異文化体験を楽しんで来ました。
留学先では社会学、ソシオロジーSociologyという分野を学びました。
英語力がなかなか思うように上がらないという葛藤、
エッセイに追われて辛くてストレスのある日々。
でも、たくさんの友達ができ、なんとか無事に留学も終え、何物にもかえ難い、私の財産となる一年を終えました。
就職活動の始まり。苦しみから得たこと
留学から戻ったのが大学3年の秋。
いよいよ就職活動本番の時期がやってきました。
周囲の焦り、プレッシャー、
なんだか分からないがこの波に乗らないとヤバいんじゃないか?
そんな不安が襲ってきました。
私たちが卒業する頃はちょうど、就職氷河期真っ只中。
周囲の流れに乗って就職活動を始めてみたのですが、どうもこうも私にとってしっくりこない。
新卒募集をしている企業のリストを眺め、業界ごとに絞って眺めても、どこからどうスタートしていいのかさっぱり分からない。
いや、働きたくない、ってわけじゃないのです。
ただ自分が本当に何をしたいのか、ハッキリしてないあの苦しさ。
どこに進みたいという明確な夢もなく、あこがれの企業がある訳でもなく、結局は周囲に流された形での就職活動。
うまく行くはずがありません。
エントリーしては見たものの、面接に行き着くこともありませんでした。
例え面接になっても、こんな私が何を語れたでしょう?
周囲はとにかくたくさんの企業にエントリーをして、どこかに引っ掛かれば、と言う意識で行動している学生が多かったです。
何しろ就職氷河期の真っ最中。
就職できる企業があればそれだけでありがたい。
そこでどんなに辛くても3年は頑張る。それが次へのステップになるから。
そんな言葉もよく聞きました。
だから、どこでもいいからとにかく自分を拾ってくれる企業に就職すればいい。
そういう時代、そう言う流れ、一般的な意見だったのかも知れません。
ところが、その流れに乗ろうとするとどうしても違和感を感じるのです。
そこで、自分がどう言う人間かに気づくのです。
原動力は自分の中から生まれてくるものでないと行動できない。
逆に、私は自分で心底納得してこれが自分の目指すこと、と心に決めたら、
どこまでもいつまでも走れるほどのエネルギーが無限に生まれてくる自分にどこかで気づいていたのです。
だからこそ、この違和感に耐えられませんでした。
そこで「これは一旦 就活中止!」と決意しました。
本当にそれでいいの?手遅れになるよ?就活しなかったら人生終わり、くらいの雰囲気がありました。
こうだと決めたらてこでも動かない私は自分で思った方向に進むことにしたのです。
就職活動中に悩みに悩み、選んだのはインターンシンップという道
悩みに悩んで、私が選んだのが「インターンシップ」。
大学生のインターンシップを斡旋してくれるNPO法人で、何と就職の決まっていない大学4年生の私を、ある企業に紹介してくれました。
ここでの半年は私の働くことに関しての意識を根底から変えたのでした。
ここで得た経験で、私は今まで見失っていた自分の方向性が何となく見えて来たこと。そして起業という道もあるということを知り、なんだか大きなものに目覚めた気がしました。
インターンシップとして働いていた企業の上司はそのままそこに就職する道もあると声をかけてくれましたが、また自力で道を
とある、大手のフィアッションポータルサイトを見ていて、ふと目に留まったのが、
各社が持っている自社サイトの求人ページ。
リクナビなどの就活サイトにはのっていないけれど求人している企業はある。
求人を出している企業を自分の手で探して出会うことも不可能ではない、ということを発見したのです。
リクナビに出てくる企業、就職セミナーに出展する企業だけが全てではない。
それに気づいたとき、出口のない暗い闇にいたような気がしていたのが
実はトンネルで、そのトンネルの先に光が見えた気がしました。
じゃあ、私が興味ある中小企業、特にベンチャー企業に就職したいと思ったら、どうやって出会えばいいの?
就職活動の王道を歩いていたら、ベンチャー起業との出会いの場は、もしかしてないのだろうか?
リクナビや就職セミナー以外で就職活動をする方法はないものだろうか?
自力で就職先を見つけるためにした行動
そう言う考えに行きつきました。
そこで私の起こした行動はというと、
海外に拠点があり日本が本社、または日本に支社があり海外が本社の、
アパレル関係の企業リストをみつけ、片っ端からしらサイトに訪問し、
人事・求人情報を見つけてはメールしたり履歴書を送ったりするという突飛な行動でした。
海外と日本の橋渡し的な仕事ができそう!そんな単純なイメージが私のエネルギー源でした。
新卒採用をやっている企業は、それに則したアピール方法を行っているはずなのです。(今思えば 笑)
こんな方法で効率が悪いのは分かってはいたのですが、
なんとかなるかもしれない、
見習いインターンシップでもいいから潜り込めないか?という期待からそんな大胆な行動に出ました。
案の定、ほとんどの企業は「今募集しておりません」、とか、
「新卒は受け入れておりません」という無難な答えだったのですが、
なんとそんな中でも一社面談に進んだ企業がありました。
某、世界的に有名なデザイナーの海外営業ポジション。
いやー嬉しかった嬉しかった!!履歴書を見てポイっ!とできたであろうに、
私のような若造にあう時間を作ってくれた人事の女性がいたのです。
そのときに同じ募集を見て面接にきていた、あのキャリアウーマンばりばりの女性たちのイメージが今でも忘れられません。
当然そこには採用されませんでしたが、なんだかものすごくいい経験をして『無職に変わりない』のになんか達成感すらありました。
そういう無謀な活動をする中、結果は出ずも自分の方向性を見つけ始めていました。
そう、私はベンチャー企業に強い興味を持ち始めていました。
コメント
コメント一覧 (4件)
お会いしました(いえ、実際には会ってないんですけど笑)、
暴走して石橋を渡って、後から橋に気づくタイプと、ご自分でおっしゃってる方・・・
私以外で、初めて見ました(笑)
私も常日頃主人とそんな話をしていて、
「石橋を叩いて渡らないタイプ」の主人に対し、
私は「石橋、渡ってから(なんか問題あれば)考えればいいじゃん。」みたいなことをよく言ってます。
いらない情報ですけど、
私も大学の専攻、留学先での専攻、同じような感じです^^;
それにしても素晴らしい行動力ですね!
続き、楽しみにしています!!
>たくみんさん
コメントありがとうございました!
嬉しかったです☆何やら共通点が多いですね、私たち^^
勝手な妄想ですが、一緒に何かできたら、二人で暴走してすごいとこまで走っていけそうですねo(^▽^)o
いつか本当にお会いしたいです!
追伸 午年生まれはこのタイプ多いのかな?
[…] 今の私ができるまで ~大学時代から就職活動期~ […]
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