「子供の英語教育、いつから始めるのがいいのかな?」
これは、英語教育に関心の高いお母さんにとっては非常に大きな悩みです。
英語教育について、世の中にはいろいろな情報が飛び交っています。
中には、2~3歳から始めるのが良いという意見もありますし、
10歳ぐらいで国語(日本語)が発達し終えてからでないと十分な英語力に育たない、といった意見もあります。
「子供の英語教育はいつからが理想」は賛否両論がとても激しいテーマです。
今回は、このテーマについて見ていこうと思います。
英語はいつからが理想?
子供の英語学習はいつから始めるべきか。
これには本当にいろいろな意見があります。
語学を学ぶには赤ちゃんからがいいという説、母国語が出来上がる8歳(小学校3年生)ごろが理想だという説、胎教ですでに英語を学ばせるべきという説、いくつになってもやる気次第だという説…。
本当にさまざまな説が飛び交っていて、みなさん混乱しているのではないでしょうか。
仮に今3歳のお子さんがいて、本当に「生まれる前、生まれた直後からはじめたほうがいい」という説が正しいのであれば、
「我が子じゃ遅すぎるのでは!?」と焦ったり、もっと言うと「うちはもう無理だ!」と諦めの気持ちに陥ってしまいますよね。
子供の英語教育をいつから始めるべきか。
今回は、この賛否両論のテーマに、あえて持論を展開してみようと思います。
キーワードは『英語脳』。
この英語脳の働きを知れば、理想の語学学習の年齢が見えてきそうです。
・英語脳って?
英語脳という言葉、概念をあなたはご存知ですか?
物理的に脳の中に英語脳があるわけではないのですが、
語学を司るブローカ野とウェルニッケ野の働きをみると、英語脳が理解できます。
ブローカ野は、話すこと。
ウェルニッケ野は、話し言葉を理解すること
を司っているとされます。
これらは、別々の場所であり、脳の働きが異なるのです。
つまり、話すことと、話し言葉を理解することが、別々の機能として備わっているのです。
こちらの記事
https://www.globalkid.jp/english_brain_2/
でも書きましたが、英語と日本語では 周波数帯が全く被らない、つまり“音“が共通していません。
この音のヘルツ数が違いますから、
英語の音が日本人には聞き取りにくい、聞き取れないというのも頷けます。
つまり、私たちは日本語脳を使って英語を理解することができないのです。
たとえば、英語とドイツ語だったら、音が重なっている部分があるのが図から理解できると思います。
よって、幼い頃からドイツでドイツ語だけで育った子供が、成長してから英語を学んでも、
我々日本人と比べた場合、比較的苦労せず英語学習することができるでしょう。
しかし、日本人が日本国内で日本語のみに触れる暮らしをしていたら、やはり英語の音を聞き取ることができないというわけです。
これが、日本人が本当に英語に苦労する理由なのです。
・赤ちゃん説
では、日本語とは異なる音(英語)に親しみを持たせ、子供の成長とともに英語を自然と身につけ英語脳を育てるには、どうしたらいいのでしょうか。
そのひとつが、赤ちゃん(0歳や1歳)の頃から、英語に親しむことです。
ここからは私の経験談となります。
私は2005年から海外生活を始め、トータルの年数もさることながら、様々な国、都市への引越しの回数も少なくありません。
そんな中、この目で見て感じてきたのは、世界にはバイリンガル、トリリンガルが当たり前の国々もたくさんあるということでした。
例えば、私たち一家はシンガポールに住んでいましたが、英語・中国語・マレーシア語を操る人は珍しくありませんでした。
さらに、私の二人の息子が、ローカルの幼稚園において先生から中国語で話しかけられた結果、自宅で長男と次男が自然と中国語で会話しだすという事態になったことがあります。
私は中国語の知識はほぼゼロでしたから、学校生活の中だけで集中的に身につけた中国語力だったと言えます。
習慣のパワーと子供の柔軟さ、インプットの重要性に改めて触れ、とてもおどろきました。
その後、英語と日本語の2カ国の生活に戻りましたが、とくに本人たちは混乱してないようです。
だから、学習によって子供の発達に悪影響があるかというと、そうではないと思うのです。
ただし、私の周りでも、親の一存で無理やり英語学習させられたことで
(英語も、英語にまつわる何もかも(たとえばデ○○ニー)が嫌いになってしまった、ということは起こりえるため 取り組みの方法は要注意ではあります。)
よって、子供が積極的に、自分から楽しんでできること。
その「楽しめる行為」を英語でできる形にしてあげたらいいのではないかなと思います。
小学校3年生説
さらに、もうお子さんが赤ちゃんの時期を過ぎてしまったという方に。
決して焦る必要はありません。
世の中には、小学校3年生ごろから英語を学ばせるのが良いという説を唱えている人も少なくありません。
ではなぜ「小学3年生」なのか。
それは、母国語としての日本語の基礎力が固まるからです。
学習意欲が盛んな子供はこの時期から自主的に読書、多読をはじめますよね。
日本語で読み書きができるようになり、ある程度の自我もしっかりしだして、
自分が何を主張したいのか、どんな得意分野があるのか、なにが好きなのか、
自分で自分のことがある程度わかるようになった頃に、英語を学ぶのが一番効果のある方法だという説です。
これはわかる気がします。
我が家の次男は現在小学三年生。母国語は英語、日本語は彼にとっていわば外国語です。
家庭では私も息子たちと一緒に日本語の学習を進めています。
この次男との日本語学習を始めて数年経ちますが、日本語を学ぶ意義を見出せずに文句タラタラ。
今小学校三年生になって、日本のばあば、じいじと話せたことの嬉しさ、
大好きなポケモンの名前をカタカナで読めたことの感激、日本に滞在した時に街で見かけた文字を読み理解できるプロセスを自ら体験したことで
ようやく日本語の学びの意義を自分流で発見できたようです。
※ こちらは次男のポケモンカタカナ事典です。
その息子の姿を見て、学びに必要なモチベーションと動機付けの重要性を改めて体感した私は、
子供が母語の基礎をある程度積み重ねた頃、日本語の読み書きができるようになったころに、英語の学びをスタートすることも、
様々な意味で丁度いいタイミングであると言えると、確信を持つことができました。
小学校3年生なら、まだまだ聞き取りの耳も柔軟なため、流暢な発音も身につけることは可能です。
こういう説があることを知っているだけでも安心ですよね。
「英語教育において我が家は出遅れてしまった!」と焦って、
子供に無理やり詰め込み教育を施し、英語嫌いに育ててしまうよりは、ずっと良いと思うのです。
・私(kaori)の体感
私(kaori)の体感をお話ししますね。
10年前、長男が生まれた当初は確信を持てなかったことではありますが、
10年経った今、子供の英語教育は早すぎても早すぎることはないと、今は強く確信しています。
自分自身の体験、多民族国家のオーストラリア、シンガポール、移民の多いポルトガルで暮らしてきた中で
日本国内で耳にする「言語教育はこうあるべき!」という型にはめた考え方はナンセンスであると感じます。
小さい頃から外国語に触れる環境で子供達を育てるのは、決して悪いことではありません。
日本の外に目を向けてみると、バイリンガル・トリリンガルは当たり前の存在です。
私の身近なママ友でも、2〜3ヶ国語を使い分ける人は珍しくありません。
早期外国語教育を進めて子供にとって大変な弊害があったという話を、
私の海外暮らしの体験上、私は今までに聞いたことはありません。
英語を学ぶことに遅すぎはないという理由
外国語学習を始めるのに、早すぎることはないという一方で、
同時に遅すぎることもないとも言えるでしょう。
たとえば、世界的なテニスプレイヤーの錦織圭くんは、中学生である14歳で渡米しています。
日本語の基礎能力が出来上がると言われている小学校3年生、英語スタートの適齢期よりも5年ほど後ですね。
彼はもう海外で英語の苦労しないどころか、流暢な英語を話します。
彼こそが、「英語を始めるのに遅すぎることはない」という説を証明してくれているのです。
※ 2019年1月 オーストラリアンオープン時の錦織くんのインタビュー
ここで注目したいのは、錦織圭くんの英語は、完全なるネイティブ・イングリッシュとは少し異なるという点です。
じっくり聞いていただくとわかるのですが、流暢な英語の中に、ところどころ日本語話者に特徴的な発音が残っています。
これが「赤ちゃんの時期に英語学習を始めてたくさんの良質なインプット期間を経て育てた「英語脳」「英語耳」を持つ 完全バイリンガルのケースと、
14歳という日本語がかなり出来上がった状態で後天的に英語を学んだケースの違いであると思われます。
英語学習の成果としてどのレベルを目指すか。
ついつい、ネイティブと渡り合うぐらいのパーフェクトな英語を・・・とか、
英語耳を・・・と考えてしまいがちですが、
果たしてそこまで流暢な英語を話す必要があるのでしょうか?
そこまでのレベルを目指す必要はない、という視点で世界を見てみると 今までとは違う景色が見えてきます。
よく『この表現はネイティブに笑われる!』という煽り文句の英語教材などはありますが、
実際にネイティブとコミュニケーションをしている場合、相手が常識を備えた人、差別的な意識のない人であれば、
目の前の相手が一生懸命英語を話そうとしているのを笑う人はいません。
そういう対話の場面においての英語は、人をジャッジするための材料ではなく
あくまでコミュニケーションの道具であると誰しもが理解しているからです。
逆に日本人の私たちも、海外の方が覚えたての日本語を一生懸命話そうとしていても、
ちょっと崩れていたり 癖のあるアクセントがあるぐらいで笑ったりしませんよね。
・早すぎも遅すぎもない
英語学習には遅いも早いもありません。
早すぎる、遅すぎる、なんてものはないのです。
気づいたときが、その時こそが、あなたに適したはじめ時です。
小学校以降のお子さんであっても、十分間に合います。
現に、私の友人でも、中学・高校で英語をスタートし、その後も学習をコツコツ続けていって今ではグローバルに活躍されている人も数多くいます。
また成人した後に自分の得意分野を見つけ、まず手に職をつけて、海外に飛び出した後に言語力をつけていった、自分の強みで世界で勝負する!と言うパターンもいくつもみてきました。
反対に、小さい頃から英語漬けで、トラウマになって英語嫌いになってしまった方もいるのも事実です…。
何が子供の教育においての理想像なのか?
英語が話せるだけで、他の専門性は身に付けなくてよいのか?
子供が本当にやりたがっていることは何なのか?
そうした総合的な視野から、教育のひとつ、ツールのひとつとしての英語学習であればいいなと思います。
さらには、お子さんが本当に心から英語でのコミュニケーションを楽しんでくれることも、心から願っています。
・まとめ
英語脳の存在。
そして、赤ちゃんの頃から英語に触れさせるべきという説や、小学校3年生頃じゃないと、結局は混乱して日本語も英語も中途半端になるという説。
どれも説得力があって迷いますよね。
「英語教育 いつから」で検索すると、驚くほど多様な意見が登場し、面食らってしまうのも無理はありません。
しかし、私kaoriの個人的な意見を許してもらえば、早すぎも遅すぎもない、
気付いた時が「あなたにとっての始めどき!」とここでは伝えたいと思います。
子供には無限の未来が拓けています。
その可能性を親の一存でつぶすことなく、のびのびと、楽しんで英語でのコミュニケーションを日常に取り込んでもらえたら理想だと思います。
最後にひとつだけ付け加えると、今の子供達は今後の10〜20年後、日本の経済がしぼんでいくと言われている中、
将来的に海外に出て働く可能性や、日本国内であっても海外の人たちとともに働くことはほぼ間違いないということです。
よって、英語を学ばなくてもなんとか済むだろういという選択肢はもうなく、いずれは英語と向き合わざるを得ない日が来るということです。
後で努力する必要性があると分かっているとしたら、将来苦労するのが分かっているならば…
子供が小さいうちに英語に親しめる環境を作ってあげられるなら、ぜひそうしてあげませんか?
それが親が子供達に与えられる贈り物ということもできると、私は思うのです。
ただ、そのタイミングに関して遅いも早いもない、世界はいつだってお子さんの前に拓けているのです。
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